集中こそ成功の源泉
世の中で成功を修めたい、思うような職業に就きたいと思ったら、一番身に付けなくてはならないものは何でしょう?
それは集中力だと思います。
精神的エネルギーを一点に集中させる事により、パフォーマンスを向上させ良い仕事をする為に欠かせないものが集中です。
現に集中力を必要とする職業とは外科医:、パイロット、研究者/科学者:、ソフトウェアエンジニア、弁護士:、プロのアスリートなどあこがれの職業が並びます。どの職業でも集中力がない人はなれないと言う事でもあります。
集中を育てる方法
集中を育てるにはどうしたら良いのでしょう?
それは脳にあります。
脳が好きな事をやっていくことです。
脳の性格を考えてみましょう。
脳は元々情報処理の為に発達した器官です。
脳には処理する容量に限界があります。それを超えるとストレスになります。
その容量の中で順調に筋の通った刺激を受け続ける事を脳は好みます。
これをうまく利用した例がゲームです。
しかし勉強にも利用出来ます。
勉強に応用する
天才といっても人間です。天才と普通の人はどこが違うのでしょうか?
勉強においてはその差は読解力にあります。そして読解力の差を埋める方法を開発しました。
もともと勉強というものは先人が残した智の遺産を学ぶ事です。そのためにはそれを理解する事と記憶する事しかありません。理解する方法で天才と普通の人の違いを解説します。
1: まず一番先に言わなければならないのは能動的勉強で無ければならないという事です。人は能動的になった時本当の力を発揮します。現在主流になっている先生から教えてもらう受動的勉強法ではこれを実現できません。自ら理解して教材を読みこなさなければなりません。
2: 一般的に本を読んでいって難しい所に来たとき脳は思考停止になってしまうという問題点です。天才は優れた読解力でそこを乗り越えていきます。または調べたり考えたりして乗り越えます。しかし普通の人はそこで挫折してしまうどころか本を読む事自体を辞めてしまいます。一人で読んでいくときの限界です。
私の作った方法は塾で先生の目の前で教科書を読ませる事により能動的勉強をさせます。そして難しい所にきたら先生が教える事で難しい所で思考停止になることなく教科書が読みこなせる様になりました。
3: さらにこの方法で勉強をさせて1から2年たつと、本を読む事に慣れ分からない所が出てきてもすぐには思考停止にならなくなることです。すなわち粘るようになります。
この段階で難しい所を自己解決できる方法を教えます。すなわち難しい所を調べたり、考えたりするように指導します。
私も学者をやっていた経験から難しい所は調べて考えることにより他に解決法が無いのです。
そうすることによって普通の人が天才と同じまで学問を習得できるようになりました。
以上が普通の人を天才と言われる人のレベルに引き上げる方法です。
この方法を普通に子供たちに教えたところ急激に成績が伸びる子が続出しています。
私はこの方法が科学技術の発達した日本で役立つと確信しています。
それでこの方法を世の中に広めるなければならない、広める事が私の使命と感じます。
1985年に「英才教室」という塾を開きました。当初は成績がなかなかあがらず、翌年自分で勉強することをコンセプトに「自立学習指導会」という塾に改名しました。
当時私は塾を開く以上、知識を教えなければならないと思っていました。しかし、教えて理解できない、そばから忘れていく、聞いていないなど効果がなかなか上がらないのです。もっと良い勉強法は無いものか悩みました。
私は自分が勉強に目覚めた経緯を思い出しました。私は北海道の帯広という町で高校時代まで過ごしました。小さい時の成績は芳しいものではありませんでした。親も教育に関心を持たず、酒ばかり飲んでいるような親でした。
そんな中、私の中学に高橋先生という教師がいました。先生は、理科と数学を担当しており、私は高橋先生から習うことになったのです。高橋先生はどういうわけか、私のことを気に入ってくれました。なんの取り柄もない私のことを気に入って、「高瀬出てこい」と言って教壇に上げてくれました。そして、えこひいきとも言えるひいきをしてくれたのです。
ある日、高橋先生は理科の実験で大気圧のことを教えようとしていました。バレーボールぐらいのゴムの半球を2つ用意します。その半球には上下に把手がついています。その半球を繋いで一つの球にし、中の空気を抜いていきます。大気圧でその半球同士は固く密着するのです。高橋先生が上を持って、私は下にぶら下がりました。ところが、私の体重の重みをみごとに受け止め、その半球は割れません。しかし、空気を入れると、自然と2つの半球に分かれてしまう、そんな実験でした。
私はこれらの体験を通して、高橋先生が大好きになりました。
そして、教科書を読むようになりました。高橋先生の教えている理科と数学です。
教科書とは難しいものです。はじめは分からないところだらけでした。
そして、分からないところだらけの文章を読むのは、相当難しかったと記憶しています。
しかし、分からなくても読み続けました。そうしたら、次第に分かる部分が出てきました。
どうしても理解できないところは、疑問を持って、次の先生の講義を受けました。
そうすると、実に簡単に疑問が解決するのです。私の成績はミルミルと上がっていきました。その結果、帯広で当時一番の進学校である三条高校に入ることができたのです。
今思えば、「教科書を読む」という些細なことが、工学博士やマイジャイロというユニークな塾作りへと導いたのかもしれません。その意味でも、高橋先生には感謝しかありません。あの1年間の出会いが、こんなにも大きな結果をもたらすものだということは、当時の自分には分かりようがありません。
時が経って1985年に、いろんなことを経験したあと塾をやることにしました。塾を始めた当初は、普通に知識を教えていました。しかし成績は伸びません。塾を開設して1年した頃、ふと高橋先生のことを思い出しました。
「そうだ、自分で勉強させればいいのだ」。自立型の勉強法を思いついたのです。
当時、勉強は教わるもの、自分で勉強するのでは教えることにならず、お金が取れない、と考えられていました。でも私は、自分で勉強するほうが実質的に成績は上がると考えていました。それで「自立学習指導会」という名称にして自立学習を始めたのです。
最初の自立学習は、ひたすら教科書を写すものでした。それから改良に改良を重ね、教科書の読み方、指導の仕方が分かってきました。今ではどの部分を丁寧に読ませるか、どの部分をまとめさせるか、どの部分を繰り返すか・・・など詳細にノウハウが積み上がってきました。
その結果、驚異的に成績の上がる人が続出するようになりました。
このような人たちを目の当たりにすると、こんなに効果的に成績を上げられる方法を残さないということに罪悪感を感じ、残すのが最後の仕事だと思うようになりました。
高瀬先生は東京工業大学で超微粒子の作成とその生成理論で工学博士の学位受けました。その研究は当時としては画期的で日経新聞にも載った程です。その研究を事業化しようと頑張りましたがなかなか軌道に乗らず、反対に生活の為に進めていた小さな塾の仕事が大成功して塾を続ける事になってしまいました。
1985年の当時「自立学習」という発想そのものがなく、自分で勉強するのでは商売として成り立たないのではないかという心配がつきまとっていました。しかし勉強方法を教え自分で勉強させる方が教える勉強よりはるかに成績が上がると思い自立学習を始めました。
自立学習をさらに発展させたところ、自立学習の先に柔道や華道のような道に繋がる「学道」があるという事に気づきました。学道を進めればどんな高い山でも自分の足で登る事ができます。
若い人達は学道を極め日本に頭脳として活躍して欲しいと思います。