石山君(仮名)がお母さんと一緒に自立学習指導会を訪れたのは、彼が高校2年生の夏休み前でした。お母さんはとても困った顔をして、来年3月の2年生最後の試験で良い点を取らないと留年になるので何とかして欲しいとのことでした。それもそのはずで、学年でビリなのです。
しかし本人はさらさら勉強などする気がなく、母親にいやいや塾に引っ張られてきている様子がありありと見えました。ただ本人も留年だけはしたくないという気持ちは有りました。その気持ちだけでかろうじて塾に入塾して勉強を始めることになったのです。
最初の頃
元々勉強をしたいわけではなく、留年は嫌だという後ろ向きの入塾動機のため、最初の頃は大変でした。初日から教科書を忘れて取りに帰ったり、指導に遅れたり、いつの間にかいなくなったり、慣れていない勉強のためすぐ疲れたりなど、まるでできの悪い小学生の面倒を見ている感覚でした。それを察してかお母さんも同様な心配をしていて、ひっきりなしに電話がかかってきてくるのです。「子供は塾へ行っているでしょうか」という本人が塾へ来ているかどうかの確認なのです。塾へ行くと言って他のところに遊びに行っているのではないかと本気で心配していました。そんなことがかれこれ一月ぐらい続きました。
しかしながら勉強の方は最初からうまく進みました。当時の記録を見ると指導の初日7月24日に2時間で教科書が10ページも進んでいるのです。石山君が自立学習を受け入れた証拠です。いま思えばこの2時間が彼の将来を決めたのかもしれません。
中学からの歴史
石山君は元々能力のある子供です。それは中学受験をして、希望する中学がすべて落ちて、滑り止めの中学にかろうじて入ることができました。中学に入った当初は成績もトップクラスだったそうです。しかし学年を上げる毎に成績が低下して一番びりまで行ってしまいました。そしてビリから抜け出せない泥沼にはまってしまったのです。
ビリになってしまうと、類は友を呼ぶではないですけれど、同じような友達関係ができて、そのような仲間と安心してビリの生活をエンジョイしていた節が見られます。音楽やゲーム、インターネットに楽しみを見いだし、髪を金髪に染めて人生を楽しんでいました。髪を金髪に染めた石山君に塾の生徒が静かに彼の回りから遠ざかり、彼の回りに人のいない孤立した空間が生まれた事もありました。173センチの茶髪の高校生が塾にいたら、小学生や中学生は内心ビビルかもしれませんね!
そして7、8月と夏期講習を過ごすうちに自立学習のレベルが上がってきました。その当時は数学のみの勉強でしたが、私は数学がとても良く分かってきた手応えを感じました。下は実際の成績の推移です。
2012年度 高校2年生
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数2
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数B
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総合順位
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1学期期末テスト
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素点
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4
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0
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順位
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35/36
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37/37
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37/37
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1学期期末テストの後の7月に入会
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2学期中間テスト
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素点
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18
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30
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順位
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27/37
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25/37
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37/37
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2学期期末テスト
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素点
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65
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45
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順位
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3/37
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18/37
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27/37
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塾へ来る直前、長年クラスビリを続けてきた子が2学期期末テストで数2:クラス3位に躍進したのです。本当にすごいですね。他の教科も軒並み上がって、奇跡的に留年せずに高校3年生に無事上がることができました。本人も指導する先生も大喜びでした。
大学受験への道 2013年 高校3年生
成績が急伸し、自立学習による勉強の楽しさを感じるようになった石山君は自然に大学受験への目標を持つようになりました。元々高い才能を持っていた子だけに当然の目標だと思います。しかし回りの学生に比べて勉強は大幅に遅れています。高校3年生の4月の段階で受験科目がほとんどゼロの状態なのです。中学から6年で仕上げる大学受験をたった1年で取り戻せる物でしょうか?
高校3年生 高校3年生はかなり勉強をがんばるようになりました。6月頃には数学が良く伸び河合塾の偏差値が55、しかし英語、理科が悪く全体では45程度でした。
しかし高校3年生とは学校に行って授業を聞き、そして家に帰ってからひどく遅れた数学や英語を勉強しなくてはなりません。数学で言えば数3、Cを学校でやりながら家で数1、2、A、Bの勉強もしなくてはならないのです。他の受験生に比べて圧倒的に不利なのです。この頃の彼のテーマは学校の勉強と遅れた1,2年生の勉強をどのように両立させるかと言うことでした。 目標を明治大学の先端メディアと決め一生懸命勉強はしましたが、受験直前で数学で偏差値55、英語、国語が50程度となかなか目標の大学まで届かず、結局大学を受かることはできませんでした。
ただ成績が届かなかったのは、勉強の開始が遅かっただけなので、浪人すればきっと取り戻せるという確信もあり迷わず浪人をすることを決めました。
浪人時代 2014年 前半
この頃は浪人したため学校に行く必要がなくなり、毎日かなり勉強をすることができるようになりました。しかし毎日24時間自由に使えるとなると、反対に勉強はなかなかできないものです。午前中は寝ていて、午後から勉強を始めました。そして塾の開いている6時間だけ勉強するようにしました。
この頃の問題点は睡眠の不規則性です。元々睡眠時間の不規則がありました。睡眠障害というやつです。これは中学、高校で学校の成績ががビリの暗い時代にすっかり睡眠障害に陥ってしまったのです。
朝起きれないのです。昼頃起きて勉強を始めるのが通常でした。
睡眠障害は本人の持っている力を半減させます。昼間なかなか集中できないのです。受験は朝にありますから、朝方ボーッとしていてはいくら実力があっても受かるわけがありません。9月をめどに本格的に睡眠障害を直す指導をしました。朝起きるとき、布団の中にいては決して起きることはできません。まず布団から出て体を動かすことを指示しました。 大学受験という強い目的があるため目覚ましのベルが鳴ったら何とか布団から這い出して体を動かし、少しずつ起きられるようになりました。
後半 そして9月頃から毎日15時間の勉強を指示しました。15時間勉強は12月頃になってなんとかできるようになりました。
最後には受験で上がらないコツの指導をしました。なぜなら本番で実力を出すことはそれなりに難しく、せっかく高い成績を持っていても実力が発揮できず失敗になる事が良くあるからです。
このようにいろいろな指導や本人の努力があって、受験では快進撃を演じました。センター試験では数2が異常に難しく、ヤフーニュースでも取り上げられたぐらいですが、他の生徒が大敗する中とても良くできました。そのため青山大学にセンター利用で受かったぐらいです。
慶應義塾大学環境情報学部 、理科大、明治、青山、・・・
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